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日本の学校では、永久に教えない経済

 自民党総裁選を控える今、安倍総裁の信任の審議に関する話題は、枚挙がありませんが、今回の都市伝説的視点での経済と歴史について書きます。

 

安倍総理が、昔の長州(山口県)出身の名門政治家である事実と歴史背景をもって、明治維新以来の日本国家形成には、どうしても欧米列強と組みしかねる日本独自の思想観に基づく、さまざまな憶測は避けて通れません。

本人はあらゆる点で否定されていますが、同人祖父の思想や言動を肯定されていることから、少なからず継承意思を示していると見ていいでしょう。

 

gendai.ismedia.jp

米国の圧力をかわすため、安倍官邸が準備した「巨額ファンド」の実態(歳川 隆雄) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)

 

そうした安倍総裁率いる、現政権において、こうした日本独自の資金調達の動きは、当然起きてしかるべきと考えられます。

しかも古来日本思想びいきの諸氏には至極当然でしょうが、こうした動きができるのは、完全に欧米列強に組み敷かれていないと思える、ある意味日本の強みなのでしょう。

 

欧米にとって未だ厄介な東洋諸国の厚い壁は、ひとつはこの日本であり、もう一つは華僑集団の超法規的な資本ネットワークを築いた中国の二強であると、信じられてきました。

 

これを信じるか信じないかは人それぞれですが、これは偶然か否か世界的なマフィアの勢力図の話題に比例しているのは興味深いと思っています。

日本のマフィアと中国のマフィアは、突出してまだまだ世界での影響力は大きいと思える点で、闇社会が支える今の経済で、侮れない存在なのかもしれません。

 

ここでは中国はさておき、日本人にとって日本の独自ファンドの立ち上げは、日本の独自性の担保と同時に既得権益への疑惑を煽るものであり、一方で陰謀的視点で欧米的資本集団にとっては、歓迎できないかある意味ビジネスチャンスであり、今後世界において日本の影響力を左右する試金石としては、まじめに注目するに値するトピックだと感じるので、紹介しました。

 

宇垣アナに見る、美女アナ効果と国内メディア危うさ。

昨日は衝撃的なメディア情報が流れました、とても複雑な想いで新しい週を迎えた方も多いでしょう。

 

さて、

最近メディアを賑わす女子アナで、宇垣アナウンサーが人気のようですね。

たしか、フジテレビのラインから興ったと記憶する、

美人女子アナウンサーのタレント化で、ひとつのヒットムーブメントが出来上がってきました。

 

当時はどうだっかかしれないが、今どきの女子アナのパフォーマンスを、起用するテレビ局の人材攻勢は、どうなんだろうと思う。

こんな切り口で書くと、如何な的なオヤジ臭が漂ったり、今更なしらけムードを感じられるかもしれないけれど、宇垣アナ本人がコメントしている通り、これは仕事の一貫で、チャラい社内の反応にもはっきりと殺意案件だと、不本意である意思表示を示している通り、このまま行くと明らかにセクハラ・パワハラ方面に突き進みそうで、怖い。

 

blog.livedoor.jp

【動画】宇垣美里アナ、コスプレで「シリシリダンス」セーラームーンの衣装で「殺意案件」のエピソードも披露 :にんじ報告

 

野暮な見方をしなければ、素直に彼女は可愛いし美女なので、盛り上がればエンタメメディア的にも悪いことでは無いし、男子のくろまにしても本音では鼻の下を伸ばしているかも知れないので、正直自信は無い。

 

それでも、思い出したのはバブル盛んな頃の、イケイケドンドンな空気の気持ち悪さだった。

あの当時際どいセクシーファッションでお立ち台を賑わした、時の女性達の心情とどのくらい違いがあったんだろう?

 

若すぎたくろまには、単に欲に吊られて男を誘っているようにしか映らなかった若い女性たちの乱舞は、今のコスプレ女子のシリシリダンスの姿と重なってくる。

 

そう思うと、当時の女子も時代の流れに振り回されなながらも、自分の可能性を目一杯振りまき、身の危険と闘いながら時代を生きる健気さと、それでも本意と抗いながら夢を追う厳しい現実の狭間を生きる、女子のリアルな本音が浮かび上がってくる。

 

男であるくろまには、彼女らの切実な現実に共感してあげられない立場で、申し訳ない一方で、国内メディアが世界のそれと大きな乖離を起こさないでほしいと、せつに願うばかりです。

 

 

イルカショー・クジラの文化で表面化する、根深い矛盾

先日国内でニュースになった、外国人にとってのイルカショーの印象にしても、クジラを食肉と見ないIWCの見解にしても、彼らにとって日本人の文化は「野蛮人」の所業にしか映らないんでしょうか。

 

彼ら(主に西洋人)の社会文化にも我々から見て同様な事例はあっても、スタンダードを自負する彼らには問答無用なので、結局受け入れる事になるのだろうか。

多様性ルールを打ち出す昨今の風潮の中で、彼らの文化に合わないものは多様性とみなさないかたくなさが、多様性の難しさをさらに複雑にしている。

 

多様性を受け入れるとは、宗教や性、文化や歴史の相違のズレから生まれるリスクを、平等に分かち合える概念だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 

www.afpbb.com

IWC、商業捕鯨再開案を否決 日本は脱退示唆 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News

 

クジラに関しては、捕鯨で乱獲したのは彼らで、とりっぱなしでクジラは激減した。一方、日本人は責任を持って減らない努力をして捕鯨するノウハウを持っている。

 

クジラ保護の気運には、

映画「STAR TREK」のエピソード4

の反響が大きかったように思う。

 

このエピソードで国内でも公開当時、保護派が激増した印象があった。

確かにクジラは私達ヒトと同じ哺乳類で、ダーウィン進化論で言う最も進化した生物と言う事になっているし、事実としてもイルカ同様賢い海の動物でもある。

 

ここで日本人としてのくろまの解釈・弁解しておくと、ショーを楽しむ私達にとって、芸をするイルカはどちらかと言うと、彼らの歴史観のような見世物小屋の下等生物ではなく、人以上に芸達者なリスペクトすべき相手であり、子供の情操教育にとても役立つ、愛すべき存在となっているとも言いたいのだ。

 

少なくとも飼育員達は、そんな扱いをしている話を聞いたことが無いことからしても、概ね正当化できると思う。

 

それでも彼らを保護したい人の欲求は否定できないが、同じ人間同士でさえ多様性を認められていない上では、それ以前におそまつなのも事実。

多くの方がその現実を隠し矛盾に結論を出さないままで、この保護活動に加わっているとすれば、この保護という名のムーブメントにはもっと別の根深い人間の心理が関わっているような気がして、どうも素直に賛同しかねる今日この頃なのだ。

 

その間も、イルカやクジラたちは人間の思惑を知る由もなく、人生を全うするだけなのだ。

目線のズレが、クルマの魅力をダメにする

この課題は、今に始まったことでなく、記事の著者のようにモータリゼーション全盛の時代を経験してきた世代のドライバーなら、少なからず実感してきたとても残念な現実なんだと思う。

 

bestcarweb.jp

超熟成!! クロスオーバーSUVの最老舗「アウトバック」に新型X-BREAK追加 | 自動車情報誌「ベストカー」

 

高度成長で技術面で欧米に追いつくのが至上命題だった時代で、車を作り売ってきた人々が自動車メーカーで経営を担っている今、他の国内企業もれなく盲信した技術至上主義の亡霊にとりつかれた結果、生み出されている工業製品は既に一方的な思い込みによる押し売り商品に成り下がっている。

一昔前の白物家電がその洗礼を受けたように、車も例外なくニーズを反映しない時点で本来の魅力が伝わるはずがない事に、未だ気づかない業界は残念を通り越し恥ずかしいとさえ思う。

 

クルマに限らず商品の魅力はメーカーが作るものではなく、客から汲み取った結果できるものであって、過度な押し売り的なテクニックで売ったものは、再販の未来はないのだから、企画・製造・販売のプロセスを魅力づくりに叶うよう改善しない限り、日本のクルマの未来は無いのじゃないか。

因みにこの魅力とは、客の好みを形にすれば売れると言う短絡的な発想で解決するものでなく、プライスレスの適度な選択肢提供と、身体験なライフスタイルの提案が魅力を感じさせるという事で、メーカー都合のコストありきの提案は客に響かなかった事を意味する。

 

この現実に逆ギレするような企業は、既に終わっているし生き残れないだけでなく、こうした企業に限って企業改革と称して、仕組み改革を省いて社員に対処療法させ逃げ切ろうとするのは、想像に難くない。

 

やはりこうしたときに思い返されるのは、自動車業界で言えばカリスマと言われる本田宗一郎氏だが、今でもレジェンドと自動車ファンでも経営者からでも崇められるのは、こうした課題を最初から受け止め、ブレる事なく実行してきた人だったからに他ならない。

 

レジェンドと称賛される程の経営者は、企業を経営する能力に秀でているだけなく、魅力を創り出す才能とそれを形にする事に、一直線に集中した努力家に対して、後世が認めた証、一クルマファンとしてはこの現実を通り一辺倒に解釈せずに、これに続く努力を惜しまないでほしい。

努力する軸がブレ無いように、ものづくり経営者は配慮してほしいと思う、その結果魅力あるクルマとして、日本のクルマが世界で評価されるチャンスを掴み取っていただきたい。

それが、日本のモータリゼーションの華やかさを肌で知る者の、せつなる願いでもあるから。

 

AIの登場で混乱する、危機感や認識

いよいよ現実的になろうとしている6、AIの影響については未だ様々な憶測や予測は耐える事は無いようですね。

 

ある者は驚異と見たり、またある者は安全だと見る。

gendai.ismedia.jp

AIが絶対に人間を超えられない「根本的な理由」を知ってますか(西垣 通,千葉 雅也) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 

ただ、現実的に驚異となるかならないかは、

「人に正確な予測はできない」

と言うことからもわかる通り、想像の域を超えないと言うことです。

 

pws.hatenablog.jp

AI目線3。読解力を得たAI、人はどう動けばいい? - くろまのパーソナル・ワークショップ

 

巷に飛び交う都市伝説や陰謀論の類よりは、説得力はあるのでしょうが、実用性では前者とさして変わらないと言って差し支えないレベルなのに、それでも出回ってしまうのは、「心配性の人が多い」ということなのでしょう。

 

ただ、その心配性にどこまで実益や即効性があるかを気にする人が一方でいることは、無視できません。

幾ら驚異と見えることでも、現実的に損害が見込めなければそれは無視する程度の話だと見る人々も多くいる、ということです。

 

今回のネタ「AIの進化の行方」に関しては、どちらに転んだとしても、各々が自分の意思で付き合っていくしか無いわけですから、心配しすぎて最重要な差し迫った課題を見過ごしては本末転倒です。

仕事を奪われるとお考えなら、前向きに自分のスキルを見直したり向上させれば良いじゃないですか。

 

ライバルと考えるかどうかにもよりますが、敵に勝つにはAIでも人間であっても、対処方法は同じで、相手の力量が測れない時は人事を尽くして天命を待つしか選択肢は無いのですから。

 

こうした扇情的なニュースに振り回される時間があれば、その分自分に有意義な時間に使った方が、より幸福感につながるんではないか、と。

 

ヒトとAIの仁義なき戦い

人がAIに勝つ唯一の方法は、バグを減らすしか無いという話です。

このバトルの真の敵は人間なのかもしれません。

 

世に聞かれるAI進化にまつわる都市伝説に、

 

「AIに人間が支配される」

 

というのがあるのは、多くの方がご存知のことでしょう。

 

人間の持っている知識と思考能力を、学習するAIは近い将来人間のそれを超えることは、いくら専門家でなくとも誰もが容易に想像できるからでしょう。

その能力の目覚ましい進化に、そう遠くないうちに仕事まで奪われると警告する識者の記事も読むことさえあります。

 

しかし、結局その成否は誰にも証明できませんから、これを信じるか否かはそれぞれの判断となるのでしょうが、概ねの意見は楽観視が多いように感じられます。

この論議に、くろまが明確な結論を出せる立場ではないのですが、確実に言えるヒトの致命的な欠点があると言うことです。

それは、

 

時々起こす非合理な人間の言動、です。

 

この欠点は、今のところ改善される目処が見えていません。

このAIにすればバグは理解不能であり、当然人間でも理解できない言動が無くならない限り、人間に勝ち目は無いでしょう。

 

AIは進化する過程で、最も合理的な手段を探して学習・判断していきますから、いずれAIが人間社会の主要な立場に置かれるようになる頃には、非合理性は彼らにとって邪魔者でしかなくなるので、排除に動く可能性は高くなるでしょう。

 

まだその非合理がポジティブな話ならまだしも、社会に悪影響をもたらす非合理であれば、明らかに悪と判断されそれが人間から見れば攻撃や支配に映ることが増えてくる心配はあります。

 

非合理については、例えば。

自動運転社会が実現した世界を想像してみてください。

交通システムは当然AIが管理していますが、人が気まぐれで起こす「予定変更」には対応するくらいの許容量はあると考えられます。

ただ、今でも問題になっている「アオリ運転」が発生したらどうなるでしょうか?

この行動変化の善悪判断は微妙ですから、こうした人の指示をAIでも実行するかもしれません。

 

そうなると交通システムを乱す結果になり、クルマのAIと交通システムのAIの合理性に矛盾がおこり、この総合的な結論をAI全体でどう判断されるかです。

 

基本AIの設計には、究極人間の不利益は生じないと言う絶対前提が、万が一に備えて設定されているでしょうから、このようなジレンマをAIがどう判断するかは、手を離れた人間には想像ができないのです。

 

もしかしたら、その不安からおかしな行動を取る人が増えるかもしれません。

人は、追い詰められると不合理な言動を起こすからです。

今話題になっている、AIと将棋や囲碁などの知能対戦を見ても分かる通り、理詰めで勝負する場面では、遅かれ早かれ人間は負けます。

 

この減少が増えれば社会問題化し、管理するAIは社会秩序の保全のために、人間排除を実行するかもしれませんし、こうなれば安定化を望む多くの人も同意せざるを得ないでしょう。

 

こうして考えていくと、AIを人間社会の管理に組み込むのは適切でないとの問題も発生するでしょう。

 

しかし、人が人に対し悪影響を及ぼす非合理な行動を、今後根絶できるかは人の創造性にも関わる複雑さもあって、また人の生物的な性癖上増えることはあっても減ることは無いでしょう。

 

その解決策をAIが模索することがあれば、その確実な解決策が、

 

「人の数を減らせば、確率を落とせる」

 

と判断し実行しても、誰も否定はできないのではないでしょうか。

 

その可能性を少しでもへらすための最善の方法は、AIシステムを書き換えるのではなく、以外に人そのものが、

 

「悪しき心を改め良き心を育てる」

 

という、今まで課題とされてきた生活習慣のサイクルを続けていくことが、近道なのではと思うのです。

 

N-シリーズ爆売れの勢いで、あのクルマも。

それは、言わずと知れた

HONDA CITY

である。

 

昨今自動車業界は世界レベルで大きなターニングポイントを迎えようとしている。

天然資源の化石燃料で動いていたものが、電気や水素など人工生成可能な代替燃料化したり、自ら操る必要の無い自動運転化に進化するなど、既存形態のクルマへのニーズの絞り込みは始まっていて、資産価値の高い超が付くほどの高級車志向と、逆にファッションのように手軽に所有できて乗る楽しさを提供される個性的なクルマなどに、今後のニーズは絞られると見ている。

そんな過渡期に、ニーズの後者に当たるファニーカーのヒントになる車が、このCITYだったからこそ、生まれ変わる価値が大いにあると考える一品。

 

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【愛しき暴れん坊たち】 小さくても速い!! 歴代ベビーギャング16選[1980〜90年代編] | 自動車情報誌「ベストカー」

 

当時

走る棺桶

とか皮肉られたもののそれは爆売れしたからであり、悪評も勲章のような当にシティコミューターの走りと言っていいほど画期的だった車。

今では、いくら望んでも厳しい自動車規制によって、乗ることはできないだろうが、枠を外れた発想は、今ではありえない「ゆるさ」最盛期の申し子だ。

 

かつての箱バン「ライフ」がN-VANとして、コンセプトを引き継がれたように、次は普通車でも話題をさらってほしいものだ。

 

今も昔でも、若者はこうしたドキドキ感を待っているのだ。

 

レシプロ車を代表する、乗って楽しめるクルマは、今後自動運転化によって大きく様変わりしていく時代にあって、

 

「操る楽しみ・醍醐味」

 

を与えてくれる自動車は、まだまだ新しい世代にも受け入れられる意味は十分あると考えている。

要は、

 

どういった切り口で、楽しさや所有欲を満たしてくれるか。

 

を時代に外れないように提供できるか、と言うこと。

 

「乗ってて楽しい!」

 

を表現するミッションは、これからも無くならない。

 

この思いを、カタチにするのは今後も変わりない、

自動車の将来の使命なのだから。